紀州ひのき・紀州杉

1300年以上の歴史を刻む紀州の木材とは

日本の木造の耐久性

最近では、SDG's(持続可能な開発目標)に代表されるように、持続可能な社会を築いていくことが求められています。これについては建築についても同様で、鉄骨やコンクリートに変わる持続可能な素材として木材の良さが見直されています。


例えば構造物に求められる耐久性。木材の強さはどれぐらいなのか?


その強さが一番分かりやすいのが、奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺の五重塔。西暦600年後半から700年頃建立されてからすでに約1300年!その間、台風や地震を何度経験したのでしょう。木造にも関わらず、いにしえの日本の優美さと荘厳さを現代の私たちに伝えてくれています。


この日本最古の塔に使われている木材は「ひのき(桧・檜)」。


法隆寺の五重塔を建立された時代背景を考えると、おそらく奈良県・三重県南部と和歌山県一帯に渡る紀伊山地の「ひのき」を使ったことが推測されます。


1,300年経っても素晴らしい塔である理由の1つは、木材を建築物に使う際は、建築物に近くにある木材を使用したと想定されること。その理由は、檜(桧・ひのき)が植えられてから建築物の木材として伐採されるまで100年以上かかります。つまり、100年以上その地域の気候や土壌、虫などの環境に適応しながら大きく育った木であるため、木材になった後もすでに適応能力を獲得しているため劣化しにくい、と言われています。


もう1つ、「ひのき」は伐採されてから200年から300年の間は、曲げに対する強度や硬さが増してゆき、最大20パーセントほど強度が増すといわれています。そしてピークが過ぎると徐々に強度が劣化していくそうです。一説には、現在の法隆寺はようやく元(伐採直後)の強度に戻ったぐらいだそう。「ひのき」の強度は樹齢によって耐用年数が変化すると言われており、樹齢500年木を使った建築物は500年、1000年の木は1000年持つそうです。すごいですね。


建立から1,300年以上朽ち果てることがない法隆寺の五重塔。その佇まいが日本の木材の、紀州材の品質の高さを証明してくれています。
国産ひのきの建築物

紀州は「木の国」?

和歌山と紀州の地図
○和歌山県が紀州と呼ばれている理由
紀伊半島の多くを占める紀伊山地。この紀伊山地の中央部の西・南・東をぐるりと取り囲む和歌山県と三重県南部は江戸時代、紀州徳川家が治める「紀州藩」でした。このことが現在でも紀州と呼ばれているゆえんです。


○紀州藩
紀州藩の成り立ちは、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、「紀伊国(きいのくに)」に浅野幸長が来た時に紀州藩の原型がつくられたようです。その後、元和5年(1619年)に浅井家と入れ替わる形で徳川家康の十男・徳川頼宣が来たことにより、紀州徳川家が治める紀州藩が成立し、幕末まで続きました。


○「紀伊国(きいのくに)」
「紀伊国(きいのくに)」は大和朝廷があった飛鳥時代の7世紀に設立された行政区。戦国時代が終わり紀州藩が出来るまでの約900年近く、和歌山県一帯はそう呼ばれていました。
「紀伊国(きいのくに)」の名の由来は、「木の神様が棲む国」を意味する「木の国」からきているという説が有力だそうです。「木の神様が住む国」とは、『日本書紀』に記されている下記の逸話に関する記述が基になっています。


「木種を託して植えて回るように素盞嗚命(すさのおのみこと)から命じられた御子神(すさのおの子供)の五十猛命(いたけるのみこと)が、妹神の大屋都姫(おおやつひめ)、都麻津姫(つまつひめ)を引き連れて全国に植樹を行い、最終的に和歌山の地を良い場所として住むことに決めた」


さらに、古事記には「紀伊国(きいのくに)」のことを「木国」と表記されているそう。これらのことから、「紀伊国」は単に森林がたくさんあるだけでなく、この時代にとって重要な木材の資源と産業が発達した地域だったことが窺えます。

紀州材ってどんな木材?

○紀州材はどんな場所で育つ?
本州から太平洋に大きく南側に張り出した紀伊半島の大部分占める紀伊山地は、 標高1,000~2,000m級の山が連なる日本有数の山岳地帯。そこに年間3,000mmを超える豊かな雨が注ぎ込むことによって育まれた森林は、豊かな自然を有しています。この素晴らしい自然と共生してきた高野山と熊野地域、および吉野地域は「紀伊山地の霊場と参詣道」として、2004年7月7日に世界遺産(文化遺産)に登録されました。


○紀州材の歴史
飛鳥時代より使われてきた紀州材ですが、江戸時代までは自然林の伐採が中心だったようです。特に戦国時代が終わり、全国に城下町や街道の町が作られていく過程での木材の需要が高まったそうで、なかでも人口が爆発的に増えていた江戸は木材需要が逼迫し、高騰していったとのこと。そのような状況の中、日本を代表する木材の産地であった紀州も江戸へ多く供給していたそうです。紀州藩は紀州徳川家が治めていたことも考えると、江戸では紀州材の人気が高かったことが窺えます。


○紀州材の植林
江戸時代は植林の技術が発達し、紀州は吉野を中心に各地で植林が行われるようになったようです。紀州山地の西部から東南部に位置する和歌山県は、県全体の約77%を山岳地帯が占めており、多く地域で紀州材を育てています。和歌山県の森林は全国的に見ると人工林が多く、ひのきや杉などの植林が森林面積の80%以上あることだそうです。その植林を持つ山林地主は、「山番」とよばれる広い山林を管理する人を配置し、林業を経営しているとのこと。植林で育った木は、素材生産業者が買取って切り出し、その後建築用資材や家具、生活雑貨など、いろいろな商品に加工されていきます。
木材

強くて色合いが良い紀州材

○ひのき(桧・檜)の特徴

「ひのき」はスギは尾根筋などの土の乾いた場所に生えていることが多く、含水率は杉の半分程度しかないため、木材と使用するための乾燥も時間がかからないようです。そして幹の心材の割合が大きく、60年以上のヒノキになると心材は80パーセントを占めています。


世界では6種類の「ひのき」があるそうで、その中でも日本のヒノキが最も優れていて、建築材としては最高のものが多いそうです。木材として第一級品となっている理由は、カンナなどで表面の仕上げを行うと美しい光沢が出ること、心材には独特の芳香があること、水分や湿気、菌や害虫に強いことから腐りにくいなどがあります。


○杉

杉は降雨量の多い地域にたくさん生えており、日本各地で見られます。木材としては柔らかい部類に入り、割裂性がよいため、古来より建築を始めとする各種木工製品に利用されてきました。そのため、神社や寺では杉の木を植えて様々な用途に使っていたようです。

○紀州材の強さを和歌山県が証明

一般的に和歌山県で生産された紀州材は、次のような特性を有しているとされています。
・色合いが良く、つやがでる
・目合いが良く、素直な木で狂いが少ない
・強度・耐久性に優れている

なかでも「紀州材は強さ(粘り強さ)がある」と評価されてきたました。そこで、実際にどれくらいの「強さ(粘り強さ)」があるのかを明らかにするため、和歌山県が和歌山県林業試験場にて試験研究を行ったそうです。


その結果、紀州材の「ひのき」の曲げヤング係数の分布は、全体の91.5%がE110以上、スギの曲げヤング係数の分布は、全体の71.6%がE90以上になったそうです。

さらに、ヤング係数に対する圧縮、引っ張り、曲げ、せん断といった強度値をみても、全国の基準値を上回っており、紀州材は素晴らしい強度を有していることを証明できたとのことです。

このような強度のある紀州材の「ひのき」であれば、1,000年以上持つ建造物を作れそうですね。

紀州材の曲げヤング係数測定結果
国産杉の家
国産ひのきの家
国産すぎの1枚板
国産の木材の建物
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